サマルカンド
ウズベキスタンの最も人気観光地といっても過言ではないサマルカンド
ウズベキスタンと言われると一番最初に思い浮かぶ街はこのサマルカンドを挙げる人がおおいかもしれません。
世界遺産の街サマルカンド
サマルカンドはウズベキスタンの古都です。つまり日本でいうならば京都に値する場所なのです
今日はこのサマルカンドの魅力あふれる観光地について紹介していきたいと思います
サマルカンドの別名
サマルカンドは様々な呼び名があります。
- 青の都
- イスラム世界の宝石
- 東方の真珠
どれも素敵な異名ばかりですね~♪それくらい素敵なところなのです。
その美しさは歴史的人物たちも認めるほどだったそうです。紀元前3世紀にはアレクサンダー大王もこの都市を称賛したです。
サマルカンドには魅力的な観光地でいっぱいです。
NO1観光地 レギスタン広場
レジスタンとは『砂地』という意味です。
この広場は50スム札の絵柄になっています。
この広場はサマルカンドの代表的な広場でした。謁見式なども催しものなどが行われる広場でした。
ウズベキスタンの代表的な風景とも言える場所です。
このレギスタン広場を囲むようにそびえ立つ建物は3つあります。各々の建造物は近くで見学することもできるので気になる方は広場だけでなくぜひ各々の建造物を見学してみてください。
ウルグ・べク・マドマサ
レギスタン広場の一角にある建造物のひとつがこのウルグ・べク・マドマサです。この建造物は建造物の名前にもあるようにウルグ・べクによって建設されました。
このマドマサはレジスタン広場の中で最も古い建造物です。マドマサは学園のことです。建設を指示したウルグ・べクも実際に教鞭をとった場所ともされています。
現在は学校として利用はされておらず1階の寄宿舎部分だったところはおみやげ屋さんになっています。
建造物をよく見るとふたつのミナレットは空を支えられるようなイメージで建築されました。
シェルドル・マドマサ
レジスタン広場の中にこの建造物もあります。このマドマサはウルグ・べク・マドマサを模して造られた建造物と言われています。模してはいますがウルグ・べク・マドマサよりも目立つようにしています。
この建物は1スムと10スム札の絵柄になっています。
シェルドルとはライオンという意味があります。
アーチの上のところにライオン?とヤギが描かれていることがとても印象的に残る健創物です。ライオンというよりも明らかにトラにしか見えないwww
トラはもともとは遊牧民だったジィ―バニー朝を表し、ヤギは他の国、民族を表しているといわれています。
でも皆さんおきづきですか~?イスラム教は偶像礼拝禁止というきまりがあります。そのため崇拝する対象が具体的に描かれることはタブーのです。
それではなぜこんなデザインにしたのかというと建築を指示した支配者がそんなタブーなど屈することなどないという自身の権力の誇示なんだとか・・・
めんどくさいですね~
ティラカリ・マドマサ
レギスタン広場に3つめの建造物がこのティラカリ・マドマサです。ここはマドマサでありながらサマルカンドの中心的なモスクの働きをしていた建造物になります。
NO2 支配者の眠る グリ・エミール廟
サマルカンドの旧市街にあるこの建造物です。グり・エミールは支配者の墓という意味があります。その名の通り霊廟です。
このお墓には誰が眠っているのかというと
- ティムール
- 息子シャー・ルフ
- 孫のウルク・べク
というように歴代のティムールの一族がここで眠っているといわれています。
建物の中棺は並べられているのですがこの棺の中は空です。ご遺体は実際下の部分に埋めてあります。一番大きい棺はもちろんティムールのものだろ!と皆さん思うかと思いますが残念ながらティムールの棺ではありません。
この大きな棺はティムールの先生のものなんです。生前ティムールは「先生の足元で眠りつきたい』という言葉を残していたそうです。そのことにちなんで先生の足元にあるのがティムールの棺になります。
NO3 ビビハ二ム・モスク
中央アジア最大のモスクです。【ビビハ二ム】は『第一婦人』という意味があります。ティムールの妃が建築を指示したことでこの名前が付けられたといわれています。現存するこの建物は残念ながら当時のものではなく修繕されたものになります。
このビビハ二ムモスクの建造には逸話が残っています。
もともとこのモスクはティムールが遠征中に彼を驚かせるために建造が始められたものでした。ティムールの妃はティムールの帰国までにこのモスクを完成させることを目指していたのですか建設はなかなか思うように進まなかったそうです。
焦った妃は作業を急いで進めるように建築家に指示したところ~この建築家は『キスさせてくれないと働かない(´-ω-`)』という謎の駄々っ子発言をして妃を困らせたそうです(笑)
妃もとにかく作業をすすめてほしかったの承諾したそうです汗いいのかよ(;゚Д゚)
そんなこんながあって無事ティムールが帰国する前にモスクは完成させることはできたのだけど妃の肌にはキスマークの跡が残ってしまっていたらしく・・・・ティムール大激怒( `ー´)ノ!
建築は死刑に!妃もミナレットから突き落とされてしまう・・・という悲しい結末になってしまったんだとか~
妃も死刑になったという説もあれば妃は殺されることはなかったけれど人前に出るときは必ず黒いベールで顔を隠す生活を強いられたっていう説もあるらしいです。このことから黒のパランジャ―を女性がきる習慣がウズベキスタンにも一時期できたといわれています。
パランジャーで隠す習慣はロシア革命後から無くなったのでいまはその習慣もありませんけどね~~~
庭のところにある巨大な大理石はコーランを置くための台です。こんな巨大な台があるということは巨大なコーランも存在するということです。そのとおり~!
オスマン・コーランという世界最古と言われているコーランをここに置いて説教をしていたんだとかその世界最古のコーランはタシュケントで見ることができます。
NO4 最大のバサール ジャブ・バザール
サマルカンド最大のバザールです。
ドライフルーツの山www
杏のドライフルーツめちゃんこおいしいです。
NO5 ここの行かねば意味がない シャーヒズィンダ廟群
サマルカンドのアフラシャブの丘の南に存在するこの廟。『死者の通り道』と言われています。サマルカンド随一の聖地と言われていてティムールの関係者のお墓がのある霊廟
2回この廟群に礼拝に訪れた人は、メッカに一度いったのと同等の価値があるといわれるほどに神聖な霊廟なのです。
ここには入り口の正門のあとに『天国への階段』と呼ばれる階段が存在します。この階段を行きと帰りに数えながらのぼり、おりしてどちらも同じ階数であった場合天国にいけるんだとか!天国に行きたい人必見です!
まとめ
観光した際は常に天気がよかったの建造物のサマルカンドブルーと同じ青空のもと観光楽しめました。
記事の内容はまだまだまとめきれていないので今後加筆修正していきます。